チャットモンチーを聴いたら青春時代を思い出し、泣きそうになった話
こんにちは、駄菓子です。
皆さんにはありましたか、青春。
若い時代。人生の春にたとえられる時期。希望をもち、理想にあこがれ、異性を求めはじめる時期。
これが青春の定義です。
いや、青春に定義なんてあるのか?
青春というのは、自分で彩り意味を当てはめるんじゃないのか?
しかし、ここでは定義を当てはめたほうが都合がよいので、そういうことにしよう。
全然関係ないですが、青春と縁が無さすぎたのか、「青春」という文字が既にゲシュタルト崩壊してきました。
恐ろしいな、青春。
僕の青春時代を彩る音楽、チャットモンチー
さて、僕は今回の記事で何を書きたいのかというと、ぶっちゃけ特にない。
ただ、何となくチャットモンチーの曲を借りたらすごい泣きたくなってきた。
そして、この想いはブログに書くべきだと思った。
(現在のチャットモンチーは2人体制だが、あえて3人時代を載せる)
普段、チャットモンチーの曲なんて聴かないのに。
ほろ酔い気分でTSUTAYAでベストアルバムを借りた自分を殴りたい。
「ハナノユメ」、「恋の煙」、「シャングリラ」、「染まるよ」etc...
こう、何だろう。胸の奥を締め付けられるんだよね。
昔、姉がチャットモンチーにハマっていてライブ映像を見ていた時こう言った
「チャットモンチーの客層って、まじキモヲタが前列にいて最悪なんだよね。」
当時小学生の僕は、それを聞いても「へぇー、かわいそう。」としか思わなかった。
しかし今なら違うと言える。
チャットモンチーはみんなの青春なんだと。
ましてや、キモヲタである。
暗闇の青春時代をチャットモンチーに求めるのは必然的である。
そして、自分もこの年になってその一員であることに、悲しみとちょっとの嬉しさを覚える。
しかも驚いたのが、「チャットモンチー 青春」と検索すると
こんな曲があるじゃないか!
さすがチャットモンチー、抜け目ねえぜ。。。
ただでさえ青春なのに、さぁ待ってましたと言わんばかりに青春をぶち込んできやがった。
ロクな青春を過ごしていない筆者としては、もうKO寸前である。
唯一の救いは、この曲の存在を青春時代に知らなかったことであろうか。
チャットモンチーの曲は、決して青春を美化するわけではない、いわば
青春を浄化してくれる機能を持っている。恐ろしい。
音楽と青春
さて、このよく分からない記事もそろそろ締めないといけない。
何故なら、僕はそもそもチャットモンチーのファンでもなんでもないのである。
みんなが中島みゆきの「糸」を知っているように、なんとなくチャットモンチーを知っていて、青春時代にちょっとばかり聴いていただけだからだ。
しかし、それなのに曲を聴くと青春時代を連想させるチャットモンチーの凄み。
何となく聴いたベストアルバムに、この記事まで書かせる勢いがあるのである。
多分僕の世代ってギリギリ、チャットモンチーとズレてると思う。
僕の大好きな青春ド直球バンド、Baseball Bearもギリずれているかな。
back numberでは決してない。断じて認めない。
まぁ、そんなことはどうでもいいんだと思う。
青春時代に、聴くだけでそれを思い出せる音楽があって良かった。
これに尽きる。
たとえその青春が、輝かしい青春じゃなくても。